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自己破産と個人再生の体験談

本日お話に来てくれたのは、2度の借金地獄を経験し、債務整理も行った田中さんです。
どのように借金が膨らんでいったのかを、教えてもらいましょう。

1回目

氏名 田中 さくら
借り入れ当時の年齢 20歳
性別
当時の職業 工場勤務→ホテル清掃員
借金の合計額 250万
借り入れ先
  • イオン
  • マジカル(ニッセン)
  • ジャックス
  • マスターカード
  • アコム
借入件数 5件
利用期間 平成17年~平成20年

2回目

借り入れ当時の年齢 27歳
性別
当時の職業 保険営業
借金の合計額 700万
借り入れ先
  • きらやか銀行
  • 山形銀行
  • 荘内銀行
  • 鶴岡信用金庫
  • OMC
  • イオン
  • プロミス
  • アコム
  • アイフル
借入件数 10件
利用期間 平成21年から平成26年

こんにちは、田中です。

さて、早速ですが「借金」と聞くとみなさんはどんなことを思い浮かべますか?

私は何よりも怖いものだと思います。
その理由をこれからお話させてください。

【管理人】山本
それではまず、借金に手を出したきっかけを教えてもらえますか?

カードローンや借金は常に身近にありました

私は小さいころに父と母が離婚し、母1人から育ててもらいました。
不思議と寂しさはあまり感じず、それなりに姉や兄と楽しく生活をしていました。

ですが、やはり母1人の稼ぎではなかなか厳しいものがあり、母は知らないところで借金を重ねていたようです。

母はずっと縫製会社でパートで働いてきましたので、収入が多いわけではなく、借入できるところは限られていました。

<借入先>

  • セゾンカード
  • イオンカード
  • 三愛信販
  • マジカルカード
  • プロミス

総額では300万くらいだったと聞いています。

私もようやく高校を卒業し、工場で働き始めた頃、クレジットカードに出会いました。
初めてはイオンのクレジットカードでした。

ある日、イオンに洋服を買いに行き、いざレジに清算に行ったところ、お財布にお金が入っていないということがありました。
そのときに初めて、クレジットカードで支払いをしました。
作ってからずっと手元に持ってはいましたが、使うのはこのときが初めてでした。

手元にお金がなくても欲しいものが手に入った・・・そういう感覚でした。

その後も何度となく、クレジットカードで買い物をするようになりました。

そんな頃、母から生活が苦しいという相談を受けたのです。
私は給料(約13万)を全て母に渡していて、その中からおこづかいとして月2万円をもらっていました。

今思えば、このときの母は生活が苦しいというよりは、借金の返済が回らなくなっていたのでしょう。

私も貯金があるわけでもなく、考えた末にクレジットカードで10万円のキャッシングをすることにしました。
そう・・・ここから全てが始まったのです。

【管理人】山本
なるほど、初めての借金は、お母さんに渡すお金だったのですね
【管理人】山本
なぜ、そこから借金が増えてしまったのでしょう

キャッシングの手軽さにハマっていく…

クレジットカードのキャッシングというのは、銀行に行ったり審査を受けて借入するのと違い、とても手軽なのが魅力でした。
誰にも会うことなく、ATMだけでササっと借りれてしまう。

私には、お金を借りているという意識がなかったのです。

もちろんこの頃はまだ、返済もきちんと遅れることなくしていて、そうしているうちに限度額を上げますよというハガキが届きました。
確か、最初にキャッシングをしてから2年くらいたった日だったかと思います、

私は迷うことなく『はい』と記入し、返信しました。

限度額は50万まで上がりました。あげればもちろん返済額も大きくなります。
限度額ギリギリまで借りて月1万5千円の支払いはだんだん厳しくなってきました。
お小遣いでは返しきれず母に渡した給料から支払っていました。

そんなときに目にしたのが、ニッセンのマジカルカードです。
私はよくニッセンで買い物をしていたので、これまで「ポイントをためる用のカード」としか認識していませんでした。が、これも立派なクレジットカードです。
調べてみると、マジカルカードでは限度額50万までで、結局私はそのマジカルカードでも限度額ギリギリまでいつの間にか借りていました

使い道はよく覚えていません。なにか大きな買い物をしたとか、贅沢三昧したとかではなく、日々の生活が少しずつ赤字だったのを、なんとなく補てんしていたらこうなっていた、という感じでしょうか。
返済方法も口座引き落としだったので、借入残高についても細かく把握できていませんでした。

でも、この時点で既に借金は100万円になっていました。
返済額は2社合わせて月4万円。20歳の私にはかなり厳しい額でした。

【返済額内訳】

  • イオンカード  1万5000円
  • マジカルカード 2万5000円

 合計      4万円

20歳の春に結婚、そして出産

1年前から付き合っていた彼との間に子供ができ、結婚することになりました。
20歳の春のことです。
もちろん、彼には借金の事実は話していませんでした

しかし、子供ができてつわりなどで体調を悪くした結果、仕事を休みがちになった私は、会社を退職せざるをえなくなりました。
そういうわけで、妊娠3ヶ月のときに専業主婦となりました

彼は私より4つ上で、大手企業で働いていたので、収入も多いほうでした。二人で生活するには十分すぎるほどの額を、稼いでくれてました。
だから、彼のほうも、私が仕事を辞めることにはむしろ賛成、といった感じでした。
二人だけなら、まったく支障なく生活できるはずだったのです。
そう、私の借金さえなければ…。

【管理人】山本
自分の収入がない状態で、旦那さんにも内緒にしながら返済していかなければいけなくなってしまったのですね

返済に追われ、借入先が増える日々

私が仕事をしていないので、借金の支払いは彼の収入からしなければなりませんでした。
ただ、最初のうちは彼が財布を握っていたので、私がこっそり彼のお給料から返済する、なんてことはできません。

そうなるとやはり、毎月返済日になるとどうしようもなくなります。
そしてついに私は、「専業主婦でも貸します!」という消費者金融のアコムに手を出してしまいました

彼に2人用の口座をまかせてもらってからは、なんとかそのお金でやりくりしていましたが、それもすぐに限界がきました。
その結果、結婚した彼の収入証明を役所で取り、契約をして、借金返済のためにまた借金を重ねていました。
罪悪感もありましたが、もうそうするしかないんだ、と思い込んでいたのです。

その後も、私はスーパーなどでクレジットカードを作ってはキャッシングをし、服や食料品、日用品なども現金ではなくクレジット清算をしていました。
カードで現金を引き出し、別のカードの引き落としに充てる日々です。
もうこの頃には債権者は5社になり、借金は250万まで膨らんでいました

イオンカード、マジカルカードに加え、イエローハットでクレジットカード付きのポイントカードを作り、よく行くスーパーでも同じくクレジットカード付きのポイントカードを作りました。
その2社は審査が軽く、すぐに仮カードを発行してもらい、申込み当日から使える物でした。

返済額は月10万
もう、自転車操業でも立ち行かないところまで来ていました。

【管理人】山本
返済を借金で補い始めてしまったんですね
【管理人】山本
私も、借金地獄に陥る人は、こういうケースが本当に多いと聞いたことがあります

郵便物が原因で、とうとう家族バレ…。

当時、毎月返済日近くになると私は郵便局に行き、郵便物をストップしてもらっていました。
なぜなら、明細書やら請求書やらが大量に届くから。
彼に見られないように郵便物はいつも郵便局に取りに行っていました。

ですが、ある日、郵便屋さんが間違えて私たちの住むアパートに郵便物を投函してしまいました。

それを彼に見つかり、私の借金は発覚したのです

私が観念して、洗いざらい全てを彼に話すと、彼はとても驚いて、もっと早く話して欲しかった、とだけ言われました。
その一言を聞いた途端、ものすごい後悔に襲われたのを覚えています。私がくだらない見栄を張ったばかりに、借金がここまで膨らんでしまったのです。

【管理人】山本
内緒にするために、借金を重ねてしまったんですもんね…

そして弁護士を使わず債務整理へ

彼にすべてを話したとき、私は離婚を覚悟していました。
ですが、彼はこれからどうするか一緒に考えようと言ってくれたのです。
出産も間もなくですし、一度はチャンスをくれた、ということだと思います。

弁護士に頼もうかという考えも出ましたが、当時(平成17年頃)は今みたいにTVで「過払い金請求!私たちが解決します!」なんて、やっている時代ではありませんでしたので、
弁護士=高いというイメージしかなく、なんとか自分たちでできないかという結論になりました

それから私はいろいろと調べました。
債務整理がいいのか、自己破産がいいのか・・・。

はたまた、彼に一旦お金を借りてもらい、一括で返済してしまったらどうかとも思いましたが、彼はそこだけは絶対に首を縦には振りませんでした。

「俺が手助けしてやったらお前のためにはならない」

そう言われました。
最もだと思いました。

そこからは本当に壮絶な闘いでした。

まずは債権者との話し合い

私はいろいろな情報を集め、まずは正直に債権者に支払いが難しい旨を話そうと思いました
その時点で私は5社から借金をしていました。

  • イオンクレジットサービス
  • マジカルカード
  • ジャックス(イエローハットのクレカ)
  • マスターカード(スーパーマーケットのクレカ)
  • アコム

これらすべての借入額を合わせると約250万円

偶然なのかもしれませんが、どこの会社も共通して、まず最初の電話応対は女性、返済の話になると少し怖い声の男性に替わりました
私は正直に話をしました。現在の状況、返済が難しいこと。

利息だけでも払ってほしいと言われましたが、それすらも厳しい状況でした。
当たり前ですが、その状態では話がまとまるわけもなく、1度ご家族や親戚等に相談をして、また○日後に連絡をください、ということの繰り返しです。

ですが、私がこのとき心掛けたのは、どんなに嫌でも、返済のメドが立たなくても、連絡をする期日だけは絶対に守る、ということです。
連絡をするたび、罵声を浴びせるところもあれば、約束をお守りいただきありがとうございますと言ってくれるところもありました。

怖い思いも、腹立たしい思いもしましたが、悪いのは私だという自覚を持って、きちんと連絡し謝罪をしていました。

ただ、このまま話し合いをしても一向に前に進まないことは明白だったので、私は次のステップに進むことにしたのです。

【管理人】山本
連絡期日を守っていたのは、とてもよいことですね!
【管理人】山本
電話対応などで印象がいいと、担当者も寛容な対応になりやすいです
【管理人】山本
次のステップについても詳しく教えてもらえますか?

過払い金はある?利息の計算も自分で

債権者から、今までの借入明細と返済明細を送ってもらいました。
それを元に、払いすぎた利息はないか計算するためです。
要するに、「過払い金請求」を自力でやろうと思ったのです。

計算すると、やはりカード会社は利息が高いので、払いすぎているところがほとんどでした。
今は貸金業法なんかも整備されて、貸す方も法外に高い利息はとれなくなりましたが、ちょっと前までは、違法な金利で営業している金融機関も当たり前にあったのです。

利息計算方式は、残念ながらもう覚えていないのですが、昔、弁護士の事務をやっていた友人に聞きました。

毎日、子育てと家事をしながら、合間をみては計算をしました。
公式にあてはめて計算するだけなのですが、数字が細かく、小さな調整などもあって、私にとってはカンタンな作業ではありませんでした。
くじけそうにもなりましたが、主人はそんな私を見て何も言わずとも、そっとカーディガンを背中にかけてくれるような人でした。
家族の支えは本当に大きかったです。

計算結果がすべて出ると、またイチからカード会社に連絡をしていきました。

ですが…、結果は惨敗で、全く相手にされませんでした
弁護士を立てないというのはここまで違うのかと、とても悔しかったです。
「だからなに?」というのがほとんどの回答でした。

弁護士を立てようかとも思いましたが、これ以上の費用をまた主人から出してもらうのは、あまりにも申し訳ないと思い、ついに自己破産を決意しました
初めての借金から約5年経った、23歳のときでした。

【管理人】山本
ついに、ですね…
【管理人】山本
自己破産はどのように進めたんですか?

最終手段の自己破産へ

自己破産を決意したものの、これについてもまったく知識がない私は、とりあえず地域の社会福祉協議会というところに行き、無料法律相談を受けました
そのとき、任意整理や特定調停などのほかの手段も提案されましたが、相談をしてやはり自己破産が一番いい、ということになったので、弁護士から自己破産のやり方を聞きました。

自己破産もやろうと思えば自分でできる、ということをその時に知りました。
私の場合は、保証人もいなかったので、そこが大きかったですね。

まず裁判所に行き、申請書をもらってきます。

その申請書の項目は、

  • 返済できないほどの借金を抱えた理由
  • 債権者の情報
  • 現在の経済状況

など、他にもたくさんの記載事項がありました。

1つ1つ確かめながら記載するのは、なかなか時間がかかりましたが、これも自業自得と思い記入していきました。

もちろん債権者にも自己破産する旨を伝えました
かなりの罵声を浴びせられました。人間のクズだとまでいう会社もありました。

が、債権者からすれば確かに私はクズでしょう。
「借りたものは返す」というのが人の道理というものですし、借金は返す前提でおこなうのが当たり前です。
ですから、私はまさに「人間のクズ」なのだと思います。
だって、返せるアテもなくひたすらお金を借り続けていたのですから。

だからと言って、私は弁護士は一切雇っていませんので、現在の進行状況なども引き続き、私自身から債権者に報告していました。

もちろん督促状は止まらず、毎日のように自宅に届きましたが、主人も把握していることです。
今さら、郵便物相手に困ることはありませんでした。

書類をそろえて、手続きへ

書類が全部揃ったところで、裁判所に手続きをしに行きました。
この手続きに行くまでにも、1か月以上かかりました。

市役所などに行けば簡単に取れるような書類もたくさんあるのですが、戸籍謄本については生まれたときからの物がほしいということで、書類を取るのに5000円近くかかりました。
さらに、銀行の通帳の写しや、通帳に書いてある全ての事項について、なんのためにお金をおろしたのか、何のためにお金を入金したのか、など事細かに記載しなければいけません。
正直言って、気が遠くなるような作業でした。

そのあと、何日かすると出頭命令が裁判所から来ました
本来ならば、弁護士が代理で行くところだと思います。
さすがにひとりでは心細いだろうと思ってくれたのか、主人が付き添ってくれ、二人で尋問を受けました。

そこで今までのことを全て話し、これからどうするかを聞かれます。

「これからどうするか」
ここが裁判官にしてみれば1番大事なところだそうです。

やってしまったものはどうしようもない、ただ2度としないためにこの人はこれからの生活をどう改善していくつもりなのかを聞き、免責を許可するかしないかを決定します。

また、借金した理由がパチンコ依存症など明らかな浪費であるものならば、免責がおりない可能性も非常に高くなります。

私の場合もギャンブルではないにしろ、浪費と言わざるを得ないものがたくさんありました。
自分の衣服や子供の衣服などは我慢しようと思えば我慢できるものなので、浪費と判断される場合が多いのです。

そこは正直に書きました。あとは結婚前の生活が苦しかったこと、ほとんどは返済のために借りてしまったことを書きました。
それらをいろいろと考慮し、裁判官が決定をします。

正直、免責がおりないのではないか、内心ハラハラしてました。

無事、免責の許可が下りて自己破産

裁判から約1か月後、免責がおりたとの通知がきました
長い闘いにようやく終止符が打たれたのです。

その後私は、気持ちを新たに、子供も2歳になったので保育園に入れて、ホテルの清掃業務の仕事を始めました。
主人の言った通り、すべて自分で手続きをしたからこそ、借金の恐ろしさがわかりましたし、もう2度と借金はしないと確信していました

だからこそ、順調に見えた私の人生にまた少し雲がかかり始めてきていることに、私はまったく気づいていなかったのです。

【管理人】山本
とりあえず、借金がなくなってよかったですが…
【管理人】山本
ここから二度目の借金生活へ発展してしまうのですね

結婚から5年、主人の病気を理由に離婚…

 

完済から4年が経った頃、今までいろいろな面で支えてもらった主人が27歳の若さで病に倒れ、もう私のことも子供のこともわからなくなってしまいました。
私は24歳、子供は2歳の時でした。

主人の家族と話し合った結果、私たちは新たな人生を歩む決断をしました。

ここに至るまではとてつもない葛藤がありました。借金に関わることではないので、詳しい部分は省略しますが、私自身、離婚はしたくありませんでした。

でも、私は自分の子を守っていかなくてはいけない。
だから、この決断をしました。

それから1年後、彼が亡くなったと聞きました。
心からご冥福をお祈りしました。

2年後、再婚して新たな生活へ…

離婚から2年後、私は6つ上の男性と再婚をしました。既に彼との子がお腹にいました。
彼は長男のことも、とてもかわいがってくれました。

彼と長男と私と3人での新たな生活が始まりました。

彼との子を出産して、幸せな家庭生活を送っているかのように見えましたが、経済は決して豊かではありませんでした。
というのも、新しい主人のお給料は、30過ぎの男性にしては安すぎるくらいだったからです。
彼は車の整備工場で整備の仕事をしていて、手取りで14万。 
私のほうはパートをしていて、手取りで10万円

つまり、収入は二人合わせて毎月24万です
そこから家賃5万、車のローン5万、保育料4万、保険、光熱費、オムツ、ミルク・・・

子供二人を育てていくのはなかなか大変でした。
貯金はまったくできていません。

冠婚葬祭などの急な出費があると、毎月ギリギリの生活をしていた私たちではとても乗り切れませんでした。

【管理人】山本
相当苦しい生活だったのですね
【管理人】山本
お子さんって、お金かかるって言いますもんね
【管理人】山本
出産にもお金がかかりますし…

そして、第二の借金地獄のはじまり

そんな中、主人の友人の結婚式があり、県外へ泊りがけで行くことになりました。
最低でもご祝儀に3万、宿泊費1万、向こうでの飲食費1万などなど、どこからそのお金を出すか、とても悩みました。

そんな時にふと、思い出してしまったのです。
カードで少しだけ…。
もちろん、私のカードは使えないはず。
ですが、主人は一枚だけ、主人名義のカードを私に渡していました。
近所のスーパーのもので、買い物はすべてそれで行っていたのです。
一度頭の中に現れた誘惑は、カンタンには振り払えず…結局それで結婚式費用のために10万借りました
主人には、内緒です。

これが、私の第二の借金地獄の始まりでした。

少し多めに借りた私は、主人に結婚式代を渡すと、久しぶりに子供達と外食をしました。
子供たちの服を買って、私の服も買って、久しぶりに1日楽しい休日を過ごしたのです。

全て借金したお金でやっていることも考えずに…。
貧乏生活は身に染みていましたが、だからこそ、お金を持つと歯止めがかからないのかもしれません。

そこから、またしても私の感覚は麻痺していきました。

カードでキャッシングしては買いたい物を買って、子供達にブランドの服を着せて、外食もよくするようになりました。

さすがに、主人にも「大丈夫なのか?」と聞かれましたが、私は「大丈夫だ」とだけ答え、それ以上、主人が私に聞くことはありませんでした。

預かっていたカードはすぐに限度額に達し、また支払いの工面をしなければならないと思い、気持ちが落ち込んでいたところに、1通のハガキが届きました。

このハガキが更なる悲劇の始まりでした。

【管理人】山本
なるほど、ご友人の結婚式が二度目の借金のきっかけだったんですね
【管理人】山本
そのハガキって、もしかして…

自己破産から5年が経って

自己破産をしてから離婚し、再婚し、子供を授かり…
その後さらにもう2人の子供を授かり、当時すでに4人の子供の母でした。

そう、自己破産して免責がおりてから5年以上が経過していたのです。
仕事も安定してきて、もちろん私は自己破産の頃とは違う苗字で人生を歩んでいました。

そんな私のところに荘内銀行から『キャッシング可能額のお知らせ』というハガキが来たのです。

まだまだ私は借入をすることができないと思っていた私はとてもびっくりしました。

すぐにハガキをくれた金融機関に行き、ATMを操作しました。
私には50万円の融資が可能だとのことでした。

私はまずは1万を「おろしました」

そう…借入している意識はなく、あくまでも通帳からお金をおろす感覚でした。

1万、1万、3万、5万・・・また欲しい物が買える、それだけでした。

あっという間に借り入れは限度額になりました

『銀行で借り入れができるとなれば、他の金融機関でもできるかも知れない』
そう思い、いろいろな金融機関のクレジット付キャッシングカードを申し込みました。

その頃の私は、正社員として営業職をしていたので、ある程度時間の融通の利く仕事で、収入も月14万くらいあって、ボーナスも年2回ありました。

だから借り入れをしても払っていけるとそう思っていました。

とどまるところを知らない放蕩生活

金融機関のクレジット機能付きキャッシングカードはすべて、限度額いっぱいまで借入しました。
100万を超えると収入証明などが必要になり、審査も厳しくなることが多く、そうなると面倒だったので、そうならないギリギリの90万まで借入をしていました

90万までだと、審査もそれほど厳しくなくて、年収も自己申告でした。
電話も会社ではなく、携帯への折り返しの電話で本人確認をしていましたし、在籍確認もされていたかもしれませんが、私にまでつながれたことはなかったです。

また、銀行からの借入が多かったため「総量規制」も関係なく、借入額は収入の3分の1以上もOK、今ほど審査も厳しくありませんでした。

自己破産後なのに…と思うかもしれませんが、私もそれは不思議に思っていました。
後から、弁護士の方に聞いたところ、私の場合は苗字も変わり、住所も変わり、生活が一変していたことが大きかったのではないか、とは言われましたが…。

あとは、若いということもありましたし、その頃は私の月収がさらに増えて、年収も400万くらいあったことも、審査に影響していたと思います。
営業社員で、お給料も歩合だったため、収入の増減は激しかったのです。
収入証明を見せてほしいというところもありましたが、見せると審査が通りました。

そうして1度上を見るとキリがなく、やはり借金をしている意識もないまま、お金を「おろして」は自分の貯金かのように使っていました。
不思議と罪悪感はなく、むしろ自分の貯金でもないことで、よけいためらいもなくバンバン使っていたように思います。
借金で家族で旅行にも行ったし、家をリフォームもしました

主人はもはや何も聞きませんでした。
ですが、私は自分のお給料の額を正確に主人に伝えていませんでしたし、まさか借金をしているとは思っていなかったはずです。

そういうわけで、何も知らない子供達は大喜びだし、毎週末どこかに出かけていました。

また、もともとの生活費の収支が合っていなかったので、食費や日用品などにも借入したお金を使っていましたね。

この時点での借入額は、

借入先 借入額
きらやか銀行のカードローン 90万
山形銀行のカードローン 50万
荘内銀行のカードローン 90万
鶴岡信用金庫のカードローン 90万
OMCカードキャッシング 90万
イオンクレジットカードキャッシング 90万

この時点で私の借入額は500万まで膨らんでいました。

月の支払いはまたしても10万円近くに…。

もう銀行や信販会社、つまりクレジットカード会社からは借入ができず、私はとうとう消費者金融に手をだすことにしました
プロミス、アコム、アイフルの3社すべてに申し込みをして、それぞれから借りては他に返済して、いわゆる自転車操業を繰り返していました。
アコムは、自己破産のときにブラックになっているはずなのでダメ元でしたが、名前も住所も配偶者も変わっていますから、おそらく気づかれなかったのだと思います。何事もなく審査通過できました。

もちろん毎月の生活費の収支があっていないのですから、消費者金融から借りたお金もすべてが返済にいくわけではありません。私は、借りたお金で遊ぶこともやめられなかったので、本当にあっという間に借金は700万近くになりました。
支払額は月15万ほどに。
ここまで行くと、さすがにもう私の名義ではどこも貸してくれません。

私に残された手は、ひとつだけでした…

配偶者名義で勝手に借金

そう、私はついに、まだ履歴がブラックになっていない主人に手を出しました
この頃にはもう、完全に感覚がマヒしきっていて、どうやってお金を借りようか、しか考えていなかったように思います。

主人の名前でインターネットから消費者金融に申し込みをして、主人がお風呂に入っている間に免許証をコピーして、番号を記載しました。

主人は特にブラックではないので、最初は消費者金融ではなく、銀行に申し込もうとしました。
借入先も、私が借り入れをしたときに、割と審査が甘かった銀行にしようと…。

でも、金融機関はやはり窓口に本人が行かなければならなく、何より、会社に確認の電話を入れるというのがお約束です。いわゆる「在籍確認」ですよね。
「そんなことをされては大変だ!」と思い、比較的簡単に審査ができる消費者金融に変更しました。

主人は長年、同じところにずっと勤務をしていますし、借金もほとんどありません。
ですので、やはり借入できる額も大きかったです。

私は基本的に、返せないのなら滞納する、ではなく、返せないから他社から借りる、という方針だったので、取引履歴にはあまりキズがつきません
限度額も増えていきやすかったですね。

そうして手に入れた大金を、私は凝りもせず、またしても自分や家族の娯楽のために使い切ってしまいました。
もともとそんなに豪遊が好きな性格ではありませんでした。
なのに、なぜかこの頃は本当に頭がおかしくなったようにお金を使っていたのです。

長期休みに、ディズニーに3泊4日したこともありますし、東北各地に旅行に行っていました。
ちなみに、ディズニーに家族6人で3泊もしたら、入園料だけでも10万円になりますし、それにプラスして、ホテル代が20万円です。そのほかにも、食事代が高くつきますし、子供も高いおもちゃをほしがります。交通費やお土産代も入れたら、4日で50万円以上使いました。

こんな生活を続けていたので、借金は爆発的に増えていました。

最終的には、私は約700万、主人は300万、二人併せて借金総額1000万になっていました。すべて私が作った借金ですが…。
一般市民が抱える借金の額ではありませんよね。

支払いは毎月30万ほどになっていました。

【管理人】山本
もう感覚がマヒしてしまっていたんでしょうね
【管理人】山本
自分以外の名義で借入をすることは、犯罪です!
【管理人】山本
これを読んでいる方は絶対にマネしちゃダメですよ!

そして、2度目の債務整理

もう、無理でした

仕事は保険の営業をしていたのですが、ほんのつい最近までの調子はどこへ行ったのか、営業成績が上がらず、もはや続けていくのも困難な状況になっていました。
仕事柄しかたないのですが、成績の悪い社員にはものすごく居場所の悪い職場だったのです。

給料はなんと最盛期の半分になり、ボーナスもまったくありませんでした。
私が勤めていた保険会社は入ってから1年は給料を保障してくれるので、基本給は13万ほどあり、それに成績手当が加算されていました。
年収400万円はこの頃の話です。
ボーナス時には保育料補助制度も付き、子供1人に付き月5000円の補助が出ていました。

ですが、2年目になると基本給はガクッと落ち、半分になるのです。
そしてその分、成績手当は倍になります。
だから成績が取れないと給料は少なく、でもやった分だけ目に見えてお金になるわけです。

ノルマも非常に厳しく、保育料補助制度は2年目にはカット。
ここまで来て、私はようやく自分が絶望的な状況にいることをちゃんと理解できたのです。

もう私の給料だけでは到底無理でした。

『主人に話そう・・・』

意を決して、主人に全てを話しました。

主人はとてつもなく驚いていました。
確かに、私は相当な額のお金を使って遊んでいましたが、基本的には主人の目のつかないところで使っていました。ディズニーランドなどは、貯金をはたいて行っていると思っていたようです。

私の年収も、成績手当があるということを知っていたので、相当もらっているのだろうな、と思っていたのでしょう。
もちろんそう思わせていたのは私なのですが…。

それにしても、まさか自分の名義まで使われているとは、と主人もさすがにショックを隠せない様子でした。
ですが、彼はいわば「被害者」でありながら、決して声を荒げたりせず、冷静にこれからどうするつもりだと聞かれました。

私は、自分が死ぬから保険金でなんとか返してほしいと言いました。

主人からほっぺたを叩かれました。

『子供達はどうするんだ!お前は死ねばそれでいいかも知れない!だけど子供達は大好きな母親を失った悲しみとずっと闘って生きていくんだ。
大事な人を失う悲しみはお前が1番よくわかっているはずだ。
また、同じ思いを長男にさせるのか!!』と怒られました。

そして主人は、返済をしていく方法を考えようと言ってくれました。
弁護士の事務官をやっている友達に、相談をしてくれたのです。

【管理人】山本
本当にいいご主人ですね
【管理人】山本
ここから2度目の債務整理を行うんですね

自己破産と個人再生

今度は額が大きく、ましてや主人も関わっていることなので、自分1人では無理だと思いました。
でも弁護士を雇うにしてもお金がない。

そんなときに【法テラス】というサービスを見つけました
お金がない人のために、無料相談に乗ってくれたり、弁護士費用を立て替えてくれる機関です。

私と主人はそこに申し込みをして、弁護士を紹介してもらいました。

初めて弁護士事務所を訪れました。
なんとも言えない雰囲気でした。
私たちの相談相手になってくれたのは、年齢は主人とさほど変わらない感じの、割と若い弁護士でした。

ここで、私が事情を全て話したところ、すぐに言われたのが、私はもう自己破産は無理だということ。
2回目は余程の理由がない限り、免責はおりないとのことでした。

そこで、主人は自己破産する方向で進めましょうということでしたが、私は「個人再生」という方法を紹介されました。

ただ、個人再生と言っても、誰でもできるわけではありません。
条件があります。

  • 支払不能のおそれがある者だということ。
    この判断は裁判所が行うもので、あくまで客観的に「支払い不能のおそれ」がなければ、
    個人再生の利用はできないことになっています。
  • 安定した収入があるということ。
    個人再生は、最終的に返済を継続しなければならないため、無収入の人では手続きを進めることができません。

私はこれらに該当しましたので、個人再生の手続きを進めることになりました。

そうなると、自己破産と同様に、まず書類集めから始まります。
いつ・どこから・どのくらい借りたのか・返済はどのくらい終わっているのかなど…。
とにかく膨大な数の資料を集めなければいけません。

《必要な書類や情報》

必要なもの 詳細
債権者の情報 いつ、どの会社で、何万円借りたのか、借入残高や返済額など
私の情報 戸籍謄本(生まれた時から)
住民票
会社の在籍証明
会社の退職金予定証(これは会社に言わないといけないので、かなり理由を聞かれました)
収入証明
預金通帳全部のコピー 借金を始めてからのもの。
前ページも必要になる。
個人名での取引などがあれば、自己破産のときと同様に、全て記入する必要あり。
過去3ヶ月分の家計簿 付けていなかった場合は、自分の記憶を頼りに思い出して記入し、提出。
始まる前だけでなく、最後にも3ヶ月分を提出する必要あり。
生命保険証書と解約返戻金がわかる書類 生命保険や各種保険に加入している場合
車などの検査証とその価値がわかる書類 車を所持している場合
その他、税金など滞納しているものがあれば、滞納額がわかるもの 滞納していない場合は、提出不要

場合によっては、ほかにも必要な書類が出てきます。

個人再生は債務者一人ではできない!

前回の自己破産は私が1人でやりましたが、個人再生は手続きがとてもややこしく、素人では無理だと弁護士の方に言われました。
制度上、素人でも手続きは可能ですが…。
経験者だからこそわかります。一人じゃ挫折してしまうと思います。

実際にかかった時間も、 主人は1か月くらいで自己破産手続きを終えたのに対し、私の個人再生は半年くらいかかりました

個人再生の手続き期間中は、何か月も家庭の家計簿のようなものを提出しなくてはいけないし、手続き中は買ったもの、支払ったものなどはすべてチェック対象、つまり「監視されている」状態になります。

私の場合は2回目というのももちろんあるのだと思いますが、「本当に払っていけるのか」というのを特に重要視されていました。
つまり、「これまでの借金」より「これからの返済計画」を、より厳しくチェックされたのです。

2度目の債務整理を終えて

約半年の手続きが終わって、私の700万近くあった借金は、148万まで減りました。約1/5になったわけです。

その時点から、148万円を5年かけて支払っていかなければなりません。

借入先 減額後の借入残高 月々の返済額
きらやか銀行カードローン 13万 2,167円
山形銀行カードローン 20万 3,400円
荘内銀行カードローン 20万 3,400円
鶴岡信用金庫カードローン 15万 2,500円
OMCカードキャッシング 15万 2,500円
イオンクレジットカードキャッシング 30万 5,000円
プロミス 10万 1,667円
アコム 10万 1,667円
アイフル 15万 2,500円
合計 148万円 24,801円

実は、この借金は2016年現在、未だに返済中であと2年残っています。

まとめ

ここまでの借金のことを振り返ると、後悔することばかりです。
同じ失敗を2度も繰り返して、そのたびに主人や家族に迷惑をかけました。
本当にバカだなとつくづく感じています。

お金は本当に人を生かすこともできるし、殺すこともできるのだと感じました。

ローンカードやクレジットカードを新しく作るたび、新たにお金を手に入れたつもりになっていました。
お給料をもらうのと同じ感覚だったのです。
もちろんお給料とは違って、返さなきゃいけないお金なのですが…。

借入先や、借入残高が増えるごとに、罪悪感も薄れていって、どんどん借金地獄にハマっていっていました。

もし、借金地獄を現在経験している、あるいはハマりかけている、という方がいたら、これだけはアドバイスしたいです。

借りたお金は自分のものじゃない!いつかは必ず返さなきゃいけなくなる
返済を借入で補うようになったら終わり。そうなる前に「街角法律事務所」などから専門家に相談を!
・債務整理をする前に、必ず一度専門家に相談するように
・返せなくなったら、すぐに家族に伝えること。隠してもいいことはない!

とにかく今は、こんなどうしようもない私のことを支えてくれた、主人と子供達に本当に感謝しています。

この家族の笑顔を絶やさないように…。
もう二度と同じ過ちは繰り返さないようにして行きたいと、日々心に誓っています。 



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